「御園座」90周年特別公演「孤愁の岸」

 1985年9月、小学1年生の7歳の頃、名古屋の「御園座」90周年を記念し、東宝との提携で特別公演された「孤愁の岸」に子役で出演しました。主演は竹脇無我、森重久弥、志垣太郎、宮本信子、林與一ら。大勢の犠牲者を出した宝暦治水工事を描いた同名小説が原作です。
 私を芸能人にしたかった母親の執念がなせる業でしたが、小学校を1か月間休んでの舞台であり、大変な強行軍の日々でした。
 私は竹脇無我演じる主人公の平田靭負(ゆきえ)の孫の「兵十郎」という役で、突然下った理不尽な幕命の前に、頭を抱える主人公親子に向かって「剣術の稽古をして欲しい」などと場を和ませる役でした。
 当時のスター俳優が勢ぞろいなので、連日満員御礼。興行的には大成功だったようです。森重翁からは「艱難汝を玉にする」というサイン入り色紙もいただきました。非常に特殊な経験をした一か月。一生の思い出です。

 

森重久弥
 

志垣太郎
 

「剣術のお稽古はいつから始まるのですか」と父の手を引く兵十郎
 

パンフレット表紙
 

竹脇無我
 

 

宮本信子
 

井上孝雄
 

松山政路
 

内田朝雄
 

林與一
 
〜「孤愁の岸」あらすじ〜
 江戸時代の「宝暦治水工事」と呼ばれる木曽川・長良川・揖斐川のいわゆる「木曽三川」治水工事にまつわる薩摩藩の苦難を描いた作品。
 主人公は薩摩藩の普請(工事)責任者である家老平田靭負(ゆきえ)。木曽川・長良川・揖斐川の3河川は濃尾平野を貫流し、下流の川底が高いことに加え、三川が複雑に合流、分流を繰り返す地形であることや、小領の分立する美濃国では各領主の利害が対立し統一的な治水対策を採ることが難しかったことから、洪水が多発していた。
 1753年(宝暦3年)12月、9代将軍・徳川家重は薩摩藩主・島津重年に手伝普請という形で正式に川普請工事を命じたが、当時すでに66万両もの借入金があり、財政が逼迫していた薩摩藩では、幕府のあからさまな嫌がらせに「一戦交えるべき」との強硬論まで続出した。
 しかし財政担当家老でもあった平田は強硬論を抑え、幕府に受諾の意向を通知。同年1月に総勢947名の藩士が薩摩を出発。翌月美濃入り。

 

 
 しかし幕府の役人のいい加減な工事指揮により、何度も堤防が決壊し、大勢の死者が出る。4月には2名の藩士が抗議の自害。以後総勢61名が抗議の自害を図ったが、平田は幕府に叛意有りと疑われるのを恐れ、自害の存在自体を届け出ず。
 追い打ちをかけるように幕府は蓑、草履を薩摩藩士に提供しないよう地元農民に指示。その結果、慣れない土地での過酷な労働の為、202名もの病死者が出る。
 こうした困難の中でも、残った薩摩藩士はひたすら辛抱し工事を続行した結果、翌年宝暦5年5月に工事完了。直後に平田は、現地の総指揮所であった美濃大牧の役館で、大勢の犠牲者を出した悔悟の念と共に割腹自殺をする。
 普請に要した費用は40万両。70万石薩摩藩の2年間の全収入を上回る巨額な負担により、薩摩藩は以後困窮の一途を辿るが、木曽三川の沿岸329ヶ村の村人たちは、この工事により水害の脅威から救われることとなった。